初詣は法華経寺に

令和5年の元旦

あけましておめでとうございます🎍
今年の元旦詣は誕良上人が修行されている千葉中山の法華経寺に参りました。

令和5年元旦の荒行堂

画像は誕良上人が入られている大荒行堂の1月1日の様子です。
この御堂の右側にある鬼子母大尊神堂にはたくさんのご参拝者様がいらっしゃいました。
(*鬼の字は本来『´』が入りません)

さぞかし大荒行堂の面会も混んでいることでしょうと、何十分でも待つつもりで防寒対策万全に面会を申し込んだところ私一人しかおらず少し驚きましたが、誕良上人のお声もしっかりと聞き取ることもできて新年早々良い1日の始まりとなりました。
誕良上人はますますお痩せになりながらもあいかわらずの笑顔で「無事にしております、檀信徒の皆様に感謝を伝えておいてください」と仰ってました。

考えてもみれば今日の私のように元旦に外出できる寺族は珍しいのかもしれません。
私は実家も日蓮宗寺院なのでいつも部屋から徒歩10秒の本堂で初詣をしておりましたが、元旦はいつもよりたくさんのご参拝者様がいらっしゃるのでお檀家にもお手伝いいただきながら寺族も忙しくしていた覚えがあります。

法華経寺から私の実家は車で30分くらいのところにあるので、せっかくだからと実家に立ち寄りまして、実家の御本尊にも元旦のご挨拶を致しました。
これはおそらく私独特な感性だとは思いますが、物心ついた時からずっと手を合わせ、時には悩み相談も聞いてもらっていた御本尊はなんとなく家族と同じような存在なのです。
嫁いでから度々里帰りはしておりますが、元旦にご挨拶できたのは5年ぶりです。
そして両親のお墓にも手を合わせ、弟たちの笑顔を見てから帰路につきました。

令和5年の元旦

元旦の富士山

帰り道の車中、今年の抱負は『大切な人を大切にする』にしようと思いました。
文字にすると馬鹿馬鹿しいほどに当たり前なことなのですが、私はつい忘れがちなのです。

望めば会えるけれど日頃は遠い友人や家族。
いつも側にいたのに100日間だけ離れている夫。
いつまでも存在すると思っていた亡き両親。

数時間の内にたくさんの大切な人に会うことで、大切な人達との様々な距離感を感じ寂しさを覚えました。
そして「果たして私は側にいる時に大切にできていただろうか」と考えた時すぐにたくさんの後悔が思い浮かびました。

私はできることもしていないことが多いなと感じたのです。

別れが来た時に寂しいのは当たり前だからとつらさに慣れることで気持ちをごまかすのではなく、側にいる時にたくさん大切にすることで別れの寂しさを和らげたい。
それはすぐに再会できる別れも含めて…

そんなことを思った元旦でした。

関連記事

  1. 今も愛されている証

  2. New Normal

  3. 凛とする場所